丹那隧道(ずいどう)[トンネル]

           丹那トンネル

丹那トンネルは、現在のJR東海道本線(東京~神戸間)の熱海駅と函南駅の間を結ぶ全長7804mの長いトンネルです。1934(昭和9)年の開通以来、今でも現役で活躍しているトンネルです。

1909(明治42)年、当時の東海道本線の難所であった国府津~沼津間(現在の御殿場線)に替わる路線の検討が、鉄道院(当時の総裁は後藤新平)の辻太郎技師の手で始まり、翌年には尾崎錦太郎技師が調査を開始しました。

そして《小田原~熱海~三島》のルートが採用となり、熱海~函南間を貫くトンネル工事が決定、1913(大正2)年に測量に着手、1918(大正7)年着工に漕ぎ着けました。

延長7804mの複線トンネルという当時としては国内最長、まさに世紀のプロジェクトというべき大工事であり、地質や豊富な湧水により、工事は難航を極め、工期は16年(当初計画では7年)、総工費2500万円(※参照)、掘削量627,000立方m、延べ従事者数250万人という大規模な工事でした。

難工事ゆえに工事期間中、1921(大正10)年に起きた東口の大崩壊をはじめ、 関東大震災や北伊豆地震などの天災を含め、何回かの事故により合計67名におよび尊い犠牲者を出してしまいました。

こうした幾多の困難を乗り越え、1933(昭和8)年にトンネルが貫通、翌1934(昭和9)年12月には現在の東海道本線が開通しました。

このトンネルの開通により、走行時間は40~50分短縮され、石炭消費量が従来の3分の1に、また運転コストも年間90万円削減された(※参照)といいます。

また、なによりこの熱海の地にとっては、首都圏とストレートにつながる路線が開かれ、全国有数の観光地に発展していく礎となったのでした。

         プレート

丹那トンネルの上部に「丹那隧道」と書かれた銅版のプレートが掲げられておりますが、その両脇に「2578」と「2594」と書かれています。
(←クリックするとプレートが拡大表示されます。)

この2つの数字は、丹那トンネル工事着工の西暦1918年と開通の西暦1934年とを日本の皇紀で表した数字です。

丹那神社境内脇よりトンネル前に下りる坂があり(もちろん線路脇にはフェンスがありますが)、このプレートや数字を確認できるところまで行くことができます。

         東海道線

丹那トンネル真上の慰霊碑からの風景
電車が通ると電車の真上から見下ろせます。
目の前にJR伊東線の来宮駅があります。
第2丹那トンネル
丹那トンネル横、新幹線の新丹那トンネル
新幹線が見下ろせて、しかも間近で見られる珍しい風景です。
丹那神社境内を出て徒歩1分程度のところで見られます。
参考■2004年末鉄道トンネルベスト207(「逢坂山から眺めた鉄道史」内)
この2004年末のベストランキングを見ますと、1930年代の現役トンネルとしてはダントツの長さで、四半世紀たった今でも、在来線で全国6位、新幹線等を含めても30位の長さのトンネルだということがわかります。
参考■[文献]「丹那トンネルの話」鐵道省熱海建設事務所編(復刻版[非売本])
例大祭、慰霊祭に毎年ご参列下さっていらっしゃる仁杉巌様たちによって復刻された、当時の丹那トンネルに関する過去の写真や、図面など技術的な話も含む貴重な本です。
参考■[文献]「闇を裂く道」吉村昭著
丹那トンネル掘削の記録といえる真に迫る小説です。お読みいただければ、この丹那トンネルを見るたびに感慨ひとしおとなること間違いありません。
※参照事項

過去の貨幣の価値を現在と換算するのは非常に難しいことなのだそうですが、日本銀行のホームページ内のお金に関するQ&Aに記載されていた内容からおよそを換算してみます。
(これはあくまでも目安で、正しい換算ではありませんのでご了承ください。)

昭和2年と平成15年の企業物価指数の年平均がそれぞれ1.099と637.4となるので、
昭和2年のときの1円は、平成15年では、637.4÷1.099≒580円と換算されます。

丹那トンネルの総工費が2500万円ですから、25,000,000円×580=14,500,000,000円、
つまり145億円という換算金額になります。

削減された年間運転コスト90万円も同様に換算すると、5億2200万円という数字になります。